フィルム枚数表示部を見ると23だったので、自分の痛々しい足の爪を手を伸ばして撮る。最後の1枚だ、との思いは呆気なく無視されフィルムは巻き上がらない。もう一回シャッターを押すとフィルムは巻き上がった。最近かまってあげてなかった事への腹いせか。
いつ装填したフィルムだったろうか、と現像に出した帰りの車中で考える。何を撮ったのかすらあまり覚えていない。空に向ける事が多かった気がする。特に撮りたいわけでもないのだけれど、そこにカメラは向いた。撮る対象がいないからか、それが撮る対象だからか。対象と対峙する事が億劫だったのかなぁ、という思い。なんて哀しい。対象、対象じゃない、とかではなく、やはり、撮りたいから撮るんだろう。その欲望への責任が瞬間を捉える、と言ったらかっこつけすぎ…かね。
3連休の中日は久々に丸々1日休む、というか殆ど動かなかった。100歩もなかっただろう。朝から起きていたものの何もする気になれずただボーッと半日以上ゲームをし続けた。何も考えたくない、というのは確かにあった。取りあえず自分は守ろう、みたいな。それらが手伝って脳内麻痺状態。正午に始めて気付けば夜中。そしていつの間にか寝ていた。ただそれだけの1日。殆ど動いていない。他に目を向ける事すらしなかった。
次の朝、窓の外には紙に描かれた様な街並。動いているのは雲と煙草の煙だけ。動かない自分、動かない街並。自分が動かなければ、何が変わるわけでもない。目の前の建物の反対側さえ知る事はない。自分が動くから世界が動くのだ、とぼんやりと思い至って、外に出る為にシャワーを浴びた。
長袖だと暑いけれど、半袖だと寒い。重ね着をしても半袖だけだとやはり寒い。オシャレでは無く温度でどの服を着ようかと毎日悩む。服をそんなに持っているわけでもないし。持っていないから悪いのか。というか、そんな曖昧な気温が悪いのか。そんな季節にこの半月で移った。そして、その半月の間このblogを放置していた。といってもこちらには何を感じるでもないけれど。
6月頃に壊れたまま放っておいたibookを修理にやっと出す。外に出る事が多くなって不便さを感じていたまま過ごしていたのだけれど流石に我慢ならなくなった。あるのだから直そう、と。でも修理代が高かったら新しいものを買い直そうという魂胆もあり。で、そちらが濃厚だろうと勝手に新しい端末に胸躍らせていたのだけれど、無償で直ってきた。しかも1週間で。全てが予測の範囲外。けれど、始めて自分で買った端末だから戻ってきたらそれはそれで嬉しい。データはバックアップしてあったので初期化してOSを再インストール。なんやかんやと便利ツールとアプリ類もインストール。ただ壁紙のバックアップを忘れていたのでこちらは勝手に写真集からスキャンして拝借する。仕事しろよ、という感じだが、仕事で使うのでこれも仕事のうち。…とまた勝手に解釈する。
FF7-advent children-をamazonにて予約。サイトを見たらリニューアルされていた。ゲームとして出して欲しかったとつくづく思う。ついでにHedi Slimane: London Birth of a Cultも注文。おすすめリストの中に入っていた。商売が上手い。
明け方、モーターサイクルダイアリーズを観る。人物の個性の強さを出し過ぎではないかなと思う。もうちょっと抑えたら良かった。ま、でも良作だと思う。チェ・ゲバラを演じたガエル・ガルシア・ベルナルの主演作品を観たのはこれで3本目だが目がやはり良い。演技に嘘くささ無い。同じ監督の作品のビハインド・ザ・サンも先週観る。こちらの方が個人的に好き。物語が通り過ぎて行くだけでも確立している、というか。DVDを購入しようか迷い中。名匠らしいがウォルター・サレスは個人的に要注意。言い過ぎだけれど、自分で作った映画に似ている感じを受ける。
作っていない事に無力さを感じているけれど、無意味には過ごしてはいない。色んな物を観て、読んで、考える事は無意味ではないだろう。フラストレーションの溜まる日々だが抑制の為の訓練、成熟の為の時間と捉えよう…というかそう考えなきゃやってらんない。形に出来ない、というかその為の行動が続けられないというのは、先へ行った自分への遅れで焦りをやはり感じるから。